生きているものを無数に集めれば、そこには死の静寂がある。

森博嗣『青白く輝く月を見たか?』を読む。

 

とはいっても少し前の話だが。

ブログを定期的に書く習慣がなくなったので、思いついたように書いているのだけれど、やはり少しずつでも毎日書きたいな、と思う。書きたいな、と思うことと実際に書くことの間には果てしない距離がある。 

新しい仕事をここ何年間か落ち着くことなくやっていたので、すっかり定期的にものを書く習慣を手放してしまった。いまの仕事環境がもう少し続いて落ち着いてくれば、少し余裕も出てくるのだが。内省する時間や言語化する時間がないと、日々は急流のように過ぎていく。毎日毎日狂ったようにブログを書いたりなんだりしていた時のほうが時の流れがゆっくりだったような気がするが、もしかすると歳のせいかもしれない。なんてことをいう歳になってしまったが、こういうことをいう歳に早くなりたかったので問題ない。

 

ここ2週間ほど睡眠サイクルが狂っていたので、朝5時に寝て、11時に起きるような生活をしていたが、入眠剤を新しくしたら、しっかり夜2時には寝ていたようで、朝8時には目が覚めた。とにかく6時間眠れるようになっただけでも大きな進歩なので、気落ちしないようにしている。以前は2時間で目が覚めていた。リズムが乱れると体調も悪くなってしまうので、なるべくならしっかりとしたリズムで寝たいものだ。薬を使うことには抵抗があって、使いながらもいつかやめてやろうと虎視眈々とその機会を狙い、そこそこリズムがつかめてきたところで、薬を抜いてもとの黙阿弥になるということを繰り返していたが、ある時薬はずっと飲み続けても大丈夫だから、リズムをキープすることを大事にしてくださいと言われ、それもそうだなと思ったので、飲み続けることにしている。ただ、バイオリズムの波があるので、朝がだるくなったり、飲んでも眠れなかったりということはあり、なかなか難しい。

何より朝11時起きだと子どもと遊ぶ時間がほぼなくなってしまうので、忘れられてしまうのだ。昼寝前に起きて昼寝中に仕事に行く、というようなことになるので、個々最近はいつも朝は泣かれていた。日曜日とかは、しばらくすると思い出すのか、しっかりなついてくれるのだけれど。

というわけで今日は、午前中から一緒に散歩に出かけた。これで父のことを覚えていてくれるといいのだが。

仕事の方は1学期の最終講なので、これまでの振り返りと、これからの展望を。

正しく努力をしよう、ということを繰り返し言ってきたつもりだ。

この正しいというのは、正しいとされていること、ではなく自分が正しいと思うことをしよう、ということだ。

自分が正しいと思えるだけの検討を惜しまずやって、その上で全速力で走ることが、後悔しないために重要なのではと思う。

正しいというか、納得できるというか。

妥協せず、正しいと思うことを何からも縛られずにするための環境を得ることが、僕にとっては何よりも大事なことなので、自由を得るための方法をしっかりと身につけてもらえればと思う。

頭を悩ませることも大変なこともあるけれど、それが自由である限り、楽しいものだと、信じている。

まったくそのことのために囁きの森があるようなものじゃないかしら。

 

6/15

35才になりまして。日々が目まぐるしく過ぎていく。

子どもができて、子ども中心の生活になって、仕事と家庭とで時間がほとんど埋まってしまう。

ゆっくりと本を読む時間もなく、いきおいファーストフード的なものをぱぱっと読んですませてしまう。

食べやすくて味の強い食べ物もいいけれど、薄味でじっくりと味わいながら食べるものも必要で、本当に体をつくってくれるものはそういったものではないかなぁと思う。

ぼんやりとものを考える時間や、じっくりと何時間もかけて本を読む時間、自分を振り返り内省する時間がなければ、ただ時間の流れに流されるままになってしまう。

来し方を振り返り行く末を臨み、生きるさまを立てていきたい。

強い意志をもたなくてはそれは成しえないものなんだなぁと思う。

ものを書く時間もなかなか取れない。なるべく書くようにしよう。

仕事も家庭も充実させ、自分の時間も確保する。

ライフワークバランスでは足りなくて、ライフワークセルフバランスをとらなくてはいけない。

 

イーヴリン・ウォー『愛されたもの』を読み始める。ゆっくりと味わうべき本。

高田大介『図書館の魔女』も読んでいるけれど、なかなか波にのれなくて、まだ1巻の序盤あたり。

 

最近子どもが早く起きてきて、離乳食も食べなくてうちの奥様がしんどそうだったので、子どもを連れて外に出る。東尾道の公園に行く。

(たぶん)はじめてジャングルジムを見て、夢中で遊んでいたけど、途中から石拾いに移行していた。拾った石をいちいちくれた。

最近精神的な成長が著しく、うーたんのぬいぐるみにミルクをあげたり、主張が出てきて、だいぶコミュニケーションがとれるようになってきた。こないだまで立つことさえできなかったのに。このまま成長していって、反抗期になっていくんだなぁと思うと父は少しせつない気持ち。

子育てをしていると、気づきや学びが多くて素晴らしい。机上の空論ではなく、地に足がついた成長への理解が進むし、親の気持ちはたしかに親になってみないとわからないもんだなぁと思う。あらゆる体験は糧になる。すべての場所に学びがある。あらゆるものに感受して生きていきたい。

本を読むことは、その体験を埋める一助となるもので。

自分が選ばなかった経験を、理解することができる。

例えば僕はもう子どもを持たない経験はできない。子どもを持たないことの苦悩。子ども持たないがゆえの利点。結婚しなかった生活。サラリーマンだった生活。自分が選ばなかった場所。経験する可能性完全に奪われてしまったもの。生きれば生きるほど、あらゆる可能性の選択肢は狭まっていく。

そうした不可逆な生の一回性への抵抗こそが読書であり、他者を理解することだ。

本を読むことで何度も生き、あらゆる経験をすることができる。

様々な立場を理解することができる。

だから僕は今日も本を読み、あらざる生を生き直す。

自分の生だけでは足りない。

本に没入することで、この現世のまま、僕は輪廻を繰り返す。

さぁ今日は何になろうか。

孤独というのはどこにもなくて、孤独がどこにもないというそのことだけが私を私にしてくれている。

最果タヒ『きみの言い訳は最高の芸術』をちびちび読んでいる。

 

きみの言い訳は最高の芸術

きみの言い訳は最高の芸術

 

おもしろい。

 松岡圭祐『探偵の探偵』を3巻まで一気読みする。おもしろい。

 

探偵の探偵 (講談社文庫)

探偵の探偵 (講談社文庫)

 

 面白いもじゃ。何も考えなくてもしゅるしゅる~っと読める。

kindleで読んでると、ハイライトが共有されるんだけど、みんな犯罪豆知識みたいなとこにハイライトしてて面白かった。(ダイアル式のポストはこうすると開く。赤いランプがついてる監視カメラはダミー、とか。)なんの役に立てるつもりだ。

 

求められているキャラクターを演じることが板についているので、一人でやる仕事や初対面の人しかいない仕事がすごく苦手なのだな、ということを悟ったりする。

求められている基準がないと何をどうしたらいいかわからない。わからないもじゃ。

 

おうちに帰りたい。

好かれたいな あたしも 好かれたいな あなたにも

日食なつこ『瞼瞼』をむさぼるように聴いている。

 

瞼瞼

瞼瞼

 

 水流のロックぐうの音も出ないほどいい。


日食なつこ「水流のロック」 4th MV

 

水流のロックもいいのだけれど、『雨雲と太陽』がもう、一聴心がびんびんに震えるほどいい。ピアノとドラムだけという構成がこんなにもドラマチックになるなんて、というのは全編通してそうなんだけど、歌詞がまた最高にいい。物語性というかストーリー性の強い歌詞が多いけどその物語性と音楽が見事に調和している。

出だしのとこ

雨雲は恋をした 相手はきらきらの太陽

人気者の彼のこと いつでも遠くから見ていた

あたしが空に出たなら みんな逃げ出して隠れちゃうの

あなたがひとたび繰り出せば 誰もがわらって空を見るのに

 

好かれたいな あたしも

好かれたいな あなたにも

はい最高。もうこの1分で最高。”隠れちゃうの” ”繰り出せば”の言葉のチョイスも最高ですし、”好かれたいな あたしも”が先に来るのがもう最高。あなたに好かれたいという気持ちよりも、あなたみたいにわたしもみんなに好かれたいという気持ちがまず一番にある。ここまでが軽快なピアノと軽やかなドラムだけ、音数を絞りに絞って示されます。

雨雲は決めたんだ 少しでも彼に近づこう

雨粒スカートひらめかせ 太陽光満ちる向こうの空へ 

低気圧が広がった 彼もどこか消えてしまった

立ち尽くした彼女は やがて泣き出した

 

「あたしの恋なんていつもそうよ。

ためらい果てては逃すのよ。

所詮あたしは嫌われ あなたは好かれ

魔法はないのよ!」

 少しだけ高まるドラムの音にのせて雨雲の決心と絶望。

”雨粒スカートひらめかせ”ってすごくない?すごくないですか?

周りに誰もいなくなって誰も見るものもいない中ひとりで泣き出す雨雲。

”魔法はない”という絶望に、わたしも太陽のようになれるはずという無邪気な憧れは砕け散ってしまいます。

 

weep, weep, やまない雨に

soak,soak, 街はずぶ濡れ

どうしたんだって 顔を出した太陽が言う

「そんなに泣くなよ,rainy lady.

素敵な服が台無しさ。

僕だけじゃこの星は枯れてしまう。

君にいてほしいんだ。」

 ここの太陽のセリフがほぼピアノだけで抑えて抑えて歌われます。

”素敵な服”=”雨粒スカート” がんばった雨雲のおめかしを太陽は気づいてくれます。

僕だけじゃこの星は枯れてしまう” 存在の価値が認められます。

”君にいてほしいんだ” 雨雲への祝福の魔法。この歌の中でもっとも強く高らかに。かけあがるピアノの音。存在を望まれる言葉が歌われる。

 

 「あたしの恋なんていつもそうよ。

振り回されてばっかりよ。

だけど時にそれすら愛おしいよ。

魔法みたいだよ!」

 

魔法が起きたよ

 

雨雲と太陽が手をつないでわらった午後のこと。

誰もが空を見ていた。

大きな虹が架かった。

 同じセリフがおそらく表情を変えて、太陽に照らされたように。部分部分前よりも音を上げて歌われ、気持ちの高ぶりを抑えきれない雨雲。

”だけど時にそれすら愛おしいよ” 状況は変わっていないけれど同じ現実でも色を変えて目に映る心に浮かぶ。

” 魔法みたいだよ!”

そして最後の”誰もが空を見ていた。大きな虹が架かった”

太陽みたいになりたい、みんなに笑ってみつめてほしい。

そんな願いが魔法のように叶った。それも太陽だけでは雨雲だけではなし得なかったやり方で。

 

たまんねええええええ。

 

もうここ2日くらいで100回以上聞いてますが、超たまらなく良い。

こうしたのに弱いんだ。

自分の中にも同じような劣等感や羨望や諦めがあって、好かれる人になりたくて。愛される人になりたくて。

『逃げ恥』4話の平匡の「いいなぁ 愛される人は いいなぁ」も心がえぐられるようだった。

自分程度の人間が、好かれるためには愛されるためには、もっともっと努力しないと気を使わないと。

自分程度の人間がしゃべることなんて、そんなに価値がないんだから、もっともっと 知識をつけないと教養をつけないと。

 

そうじゃないと嫌われてしまう。

そうじゃないと興味をもってもらえなくなってしまう。

 

ずっとそう思ってきた。

その結果好かれたとしても、それはわたしの中で条件付きの愛情で、無条件にわたしを受け入れてくれるものではなくて。

だから疲れてしまって。

そうやってずっともがいて生きてきて、すごく苦しかった。

いわゆる「自尊感情」の低い人間は生きづらい。

それを助けてくれるのは、ほとんどの場合恋愛しかない。

無条件に自分を認めてくれる人。心底からそれを信じられる人。

それこそみくりや太陽のように、力強く笑顔で現実の色をモノクロからカラーへと変えてくれる人。

そうした人と出会えて、それまで足りなかった愛情と自尊心を満たしてくれて初めて、現実をありのままに受け入れられるようになる。

でもそれって相手にとっては地獄のようで、注いでも注いでも芽の出ない鉢植えにずっと水を遣り続けるような拷問で。それに耐えられる人はいなくて。

だからますます、自己評価が低くなる。恋愛トラウマが増えていく。社会がいやになっていく。

それでも一人で生きていくには、世の中は寒すぎるから。

 

いつかきっとあなたにとっての太陽が現れるよって、この歌は教えてくれるような気がする。

こうして世界がくぼんだ後にも 誰かに見つけてもらうことを願っている

京都でたくさん詩集やエッセイを買い込んできたので、その中から文月悠光『わたしたちの猫』『洗礼ダイアリー』を読む。

 

洗礼ダイアリー

洗礼ダイアリー

 

 なんだか心がからっぽでつらいというかふわふわして自分がどこにいるのかわからないように感じる。自分は何をしてどこにいてどこに行くんだろう。

 

 

帰りの電車で京極夏彦『書楼弔堂 炎昼』を読む。べらぼうに面白い。

 

書楼弔堂 炎昼

書楼弔堂 炎昼

 

 ただ何もおきず心の懊悩を語るだけなのにこんなにも面白いなんて。

 

立ち上がる言葉の中に、書物の世界の中に私はずっと住んでいたい。

年をとるにつれて、だんだん書物の世界の中に入れる時間が少なくなってきた。

ずっと現実に足をとらわれたままになってしまった。

フィクションの世界の中を漂うように暮らしていたい。

 

火曜日の「逃げ恥」を見ることだけを心待ちにして生きている。

お気に入りの著者の新刊発売日を指折り数えて生きている。

それが私が息ができる場所だから。

心躍るようなフィクションの中でしか、私は自由に呼吸をすることができない。

 

現実は、苦しい。

 

すべてを諦め、すべてから手を引き、生きることをやめてしまうという選択が、残されている道なのだろうか。

森博嗣『デボラ、眠っているのか?』を読む。

 

 

そろそろ文章を書かなくてはな、と思いながらも雑事と心の重さに引きずられて、身動きが取れない。

ここ2年くらいずっと鬱が続いている。低いなかで浮き沈みがあるけれど、基本的に浮上する感覚はない。体が重い。

体ってどう動かすんだっけ。心って軽やかなものだったっけ。

年のせいなのかな。もやもやが頭から離れない。血管の砂がなくならない。

 

個を捨てよ、旅に出よう。

幼いころ、ベッドのそばの机の木目を寝る前にずっと眺めていた。
するとなんだかどんどんその木目が目前に迫ってくるように大きくなり、飲み込まれてしまうかのような気持ちになった。何もすることがない、音もない、ただベッドサイドのランプだけが木目を照らしていて、いつもいつも飲み込まれそうになっては怖くなって、我に返り、そうしたまたその感覚に誘われる。そんな不思議な日々を過ごしていた。

 

ただ虚心坦懐にそのものに接し、そのものと一体になる。
それが自他の区別のない、彼我の区別のない、
ただ無心に、ただただ無心に
その境界をなくしてしまうように動くには、
温度を揃えねばならぬ

対象とする物体と温度を揃え、認識を揃え、

そうしてどこまでが自分で、どこまでがもので

自分という存在が溶け出て、
対象と一体となるように

 

「分かる」ではなくて、『和かる』
「解ける」ではなくて、『溶ける』

ように
主体と客体を分解するのではなく、和合し融け合うように

悲しみがわかるのは、相手が悲しい理由が分かるのではない
相手の悲しみと一体になるのだ

ずっとずっと頭を悩ませ続けていた、『個』という概念。
これを捨てなければならない
我執を捨て、エゴを捨て、人間を再び獲得しなくてはならない。

目を凝らして、耳を澄ませて
我を忘れて、我の無い旅をして、我に返る

いつかそうした学問をそうした文章をそうした生き方をできたらいい
我を忘れてただ生きることができるように
価値も社会性も公共性も何もかもを気に留めず、ただ自分の夢中になることに夢中になって
ずっと夢の中で、旅を続けて