大切な人をいつまでも大切にできますように。

好きな人をいつか好きじゃなくなる時があるかもしれない。

いつか一緒にいたくなくなってしまう時があるかもしれない。

それでも。

どうすれば、ずっと大切な人をいつまでも大切にできるだろうか。

 

最後の時までずっと一緒にいたいのに、この気持ちが変わっていくなんて信じられないのに。

 

 

小さい頃の写真の両親を見て、不安に思う。

幸せそうなあなたたち。

私は不安だ。

変わってしまうことが、不安だ。

 

わたしは平気だけど、あなたが傘を差し出してくれたから。

11月9日。

病院に行き、仕事をした。

 

11月10日。

とよ田みのる『最近の赤さん』を読む。仕事した。

『最近の赤さん』が泣けて泣けてしかたがない。

家族コンプレックスがあるわたしにきちんと家族がつくれるのかな。つくれるといいな。 おすすめです。

 

11月11日。

病院に行き、仕事をした。三昧の境地の話。

 

11月12日。

仕事をした。電子書籍の話。

 

11月13日。

京都に行く。中華をごちそうになる。

お庭の見える中華のレストランに連れていってもらったが、ウェイターの人がどうみてもカタギの人ではなかった。中華おいしゅうございました。

打ち合わせのあと、京都水族館にいく。お一人様。随所に工夫が見られてすばらしい。なぜこれまで来なかったのだろうか。年間パスポート買いたい。イルカショーでひとりで笛を吹いた。スポットライトがあたった。これが、地獄だ。

そのあと東寺の夜間拝観に行った。はじめてだったけど、ひときわしんと静かなのはとても良い。大好きなお寺。

 

11月14日。

京都にいる。大阪にいく。史群アル仙個展をみにいく。絵を買う。

大阪での用事ついでに、というか個展ついでの仕事を済ませ、史群アル仙の個展に行く。最終日でご本人も在廊していたので、たっぷり話が聞けた。すばらしい。ほんとよかった。あまりにもよかったので、えいやっという気持ちで絵を二枚買った。クレパス画購入者第1号だったらしく、とても喜んでもらえてとても嬉しかった。ふくろうをモチーフにした絵が多いのだけれど、今回は”少女”をテーマにしたもので、明るい色調のものも多くて、あふれるパワーというかなんというかそういったあれがすごくて、実物見るのはやっぱりいいなと思った。ふくろうは水に濡れても平気なんだけど、それでも傘を差し出してくれた、そんな絵。不安と希望がないまぜになって、暗い中にも色彩が潜んでいて、ずっと好きだったけど、いっそう好きになった。心斎橋からなんばまでてくてく歩く。人が多いけど非日常的でよい。土曜日だものね、と思った。apple storeがあったらiPad PRO触ろうと思ったけど、気づいたら通り過ぎてた。知らない街を地図も見ずなんとなく歩いていくのは楽しい。

 

11月15日。

帰ってくる。ダイニングテーブルを買う。なおちと会う。

史群アル仙『臆病の穴(1)』を読む。

大野晋『古典基礎語辞典』などを買う。 

ピザなどを食す。最近ピザがおいしい。チーズ。たまらん。こないだ食べそびれたクアトロフォルマッジを食べる。ちーーーーーーーず!!!!おいしかった。なおちはアンチョビを好んで食べていた。あんなしょっぱいだけのものを好むなんて味覚が麻痺しているな、と思った。あとは、コンビニで700円買ったらひけるくじを、ついうっかり二枚ひいてわたわたしていた。わたしはそれを遠くから見ていた。

 

 

11月16日。

なおちと街をぶらぶらする。仕事をする。

手塚治虫『日本発狂』を読む。

我が家の経済会議をするも、すぐに終わってしまい、なおちはずっと落書きをしていた。ユニクロでもこもこのパーカーとパジャマズボンを見つけて購入。もこもこしていていい。なおちは気取って裏起毛っていう。ボアだろ。もこもしているので、着るときはすごく嬉しいし、あったかいし、脱ぐときはすごく悲しくなる。仕事に行く気が10%減る。もこもこの毛布も出したので、もこもこの服を着て、もこもこの毛布に入って寝ると、もう二度と布団から出ないぞ!という気持ちになるが、もう二度と布団から出ない訳にはいかないので、どうすればいいのか毎朝途方にくれる。このまま布団から出ずに冬を越したい。もしくは、せめてもこもこのスウェットの上下で仕事をさせてほしい。

 

11月17日。

手塚治虫『ショート・アラベスク』『ロストワールド』『I・L』を読む。

三田紀房『インベスターZ(1)〜(10)』を読む。

仕事をする。

大量に手塚治虫Kindleで購入する。タガが外れたようになる。ブラックジャックだけにするつもりが、気づくとぽちぽちぽちぽちぽちとやって、かなり買い込んでしまった。ブッダ、火の鳥はもちろん、いっぱいあるんだもの。しばらくは手塚治虫漬けの生活を送る。いい時代だ。

パンを食べたくなったのでパンを食べたけど、パンはどうしてもつい買いすぎてしまうな、と思いながら買ったら、案の定パンを買いすぎてしまったので、パンを買いすぎたな、と思いながら食べた。買いすぎたパンはしばらくあとで食べた。パンとドーナツはいくつになっても買いすぎてしまう。あとバーベ―キューの適量。みえない。

 

この時が永遠に続けばいいのに。

11月6日。

仕事をする。

その他のことがまったく記憶にない。

浜田真理子を聴く。

 

11月7日。

ジムに行く。仕事をする。

堀江敏幸『なずな』を読む。

浜田真理子を聴く。

 

11月8日。

猫を触る。仏像を見る。仕事をする。

堀江敏幸『なずな』を読む。

横山雅彦『完全独学!無敵の英語勉強法』を読む。

浜田真理子を聴く。

 

没頭すること。没入すること。忘我の境地に至ること。

無心に。ただ無心に。

対象と一体になるまで。

 

 

思えば、僕が英語をやっている『理由』は何もない。

洋楽が好きなわけでもないし、洋画が好きなわけでもない。

外国に行ったことがあるわけでもないし、身近に外国の人がいるわけでもない。

 

訳のわからない規則ばかりで大嫌いだった。

学校の先生も大嫌いだった。

 

でも、出会った本がよかった。

松本道弘先生。大西泰斗先生。横山雅彦先生。もっともっとたくさんの”達人”に触れることができた。

そこにあったのは、ただの憧れで、役に立つとか立たないとかそんなものは、頭の片隅をよぎりもしなかった。ただただ先人になんとか追いつきたくて、その足あとでいいから踏みたくて。

スポーツ選手に憧れるように、芸能人に憧れるように、僕にとっての憧れは、英語の達人たちだった。

野球選手に憧れる子が、少しでも近づきたくてバットを振るように。

バンドに憧れる子が、同じ音を求めてギターに触れるように。

そんなふうにして英語を学び、シャドーイングをし、音読をして、文章を読んだ。

 

この2、3年。いろんな環境を変えてみて、それに毒されてしまった、とまでは言わないけれど、影響をされすぎてしまって、それを見失っていた。

点数が取れないといけないと思い込んで。

実用的でなければいけないと追い込んで。

そんなつまんないものを、あのときの僕は求めていなかったし、そんなつまんないものを伝えるために生きているわけじゃない。

ただ英語に触れるのが楽しくて、ただ文章を読むのが楽しくて、ただ新しい知識に触れるのが楽しくて、それが次々にリンクしていくのが楽しくて、ただそれだけで。

無心になって英語と遊んで、知識と一体になっていた。

 

憧れとなるように。

 

あんなふうになれたら。

あんなふうにふるまえたら。

 

楽しさを伝える、というのともちょっと違うんだ。

僕にとっての憧れの先生方は、決して楽しいから一緒にやろうよ、なんて言っていない。傍からみても険しい道を、ただ切り開いていくその背中に、僕は憧れたのだった。

 

あの時から時間がたって、ぼくの興味は英語以上に広がったけれど。

ぼくが無心に学問に取り組んで、一体となって、その背中に憧れてもらえるように。

大それた願いだけれど、そうじゃないと、僕の望む教育はできないんだな、と。

だからこんなにも、虚無を感じていたんだ、と。

教材を与えられて、教材を準備して、事前に決まったものを、規定どおりにこなす。

そんなことはまったく僕にとって、意味がないものだった。

もっとおおらかな学問を。

 

好きな場所でゆっくりと来し方を振り返り、恩師の新しい著作を拝見して、自分の足元を確かめることができた。なんていいタイミングだったんだろうか。

 

興味の赴くままにしゃべって、それがそのまま学問となるように。

ぼくは在野でいようと、決意したんだった。

野に在って、人にこの喜びを伝えたいと思ったんだった。

 

この時が永遠に続けばいいのに。

学問だけに満ち満ちたこの時が。

そう思えるように、そう思ってもらえるように、精進しなくては。

 

こうして、すこしずつ螺旋を描くかのように進んでいく。

すこしずつすこしずつ磨かれていけばいい。

 

 

息をするには どんな布でもよくって いたむ星を包んだ。

予防接種にいく。仕事をする。三角みづ紀『舵を弾く』を読む。

 

舵を弾く

舵を弾く

 

 無理やりにでも本を読む時間や、詩を読む時間や、古典を読む時間をつくる。

夜のだれもいない家で電子音のない音楽を聞きお香を焚いて、ただ何もなく過ごす。

一人の時間がないといけない。

家族と接すると具合が悪くなる。

予防接種に行った病院にいた赤ちゃんがもにもにもにもにずっとしててかわいかった。

猫たちが外を走っている。このままどんどん猫が増えればいい。

知ることは楽しい、本を読むことは楽しい。

それをずっと伝えていきたい。

わたしが伝えたいのは勉強ではなくて、点の取り方でもなくて、知ることの楽しみで。

だから素材なんてものはなんでもいい。

数独でもいいし、詩でもいい。

料理でもいいし、ジャグリングでもいい。

ただ自分の頭脳を拡大していくことが、自分の身体を研ぎ澄ませることが、自分の可能性が広がることがただただ楽しい。無心に楽しい。

そりゃあ万人に楽しいことではないかもしれないけど、けん玉もゲームも、面白いぞ!!っていう人がいるから、それに影響されて、共鳴して、興味を持つようになる。

 

だからわたしは誰よりも高らかに誰よりも大きな音で、知ることは楽しいと叫び続けたい。

わたしだけにできるやり方で。わたしだけに出せる音色で。

 

代替可能なものからは人は喜びを得ることができない。

高校生で、お金がないころに買ってしまったしょうもないCDとか。えいやって思って買った単行本とか。

選択肢のなかったころのものは愛着と喜びがある。

いつでもなんでもほしいもの、じゃなくて、全然わかんないけど、仕方なく何度も聞いて何度も読んで、だんだん良くなってくるあの感じ。それが喜びに、つながっているんじゃないだろうか。

だからわたしたちに最後に残されている代替不可能なこの体、この頭も、不都合まみれで望むものじゃなくても、繰り返し繰り返ししている間に、しゃあないな、と思っている間に喜びに満たされて、幸せを感じることができればいい。

聴き方がわかる。読み方がわかる。

そんな感じで生き方がわかってくれば、楽しく生きられるのか。

こんなはずじゃなかったを捨てて、ああなりたいという執着を捨て。

ただありのままをしゃあないな、と笑って受け止めることができれば。

 

 

自分自身さえも乗りこなせないのに、こどもを抱える不安がずっとある。

だからせめて、子供の前で完全な親を演じないでいたい。

完全な子供を望まないでいたい。

きみはぼくらの子供だから、しゃあないな、って、笑ってあげたい。

 

ごめんね。たぶんいい親ではないと思うけど。

でもすごく楽しみにしているんだ。

不安ばかりでいいこともあんまりないけれど、でも少しだけ楽しいことや、生きててよかったなって思えることもあるから。

ここが危ないよってことや、こうするとダメだよってことよりも、こうすると楽しいよ、これが楽しいよってことをたくさん教えてあげたい。

楽しい本を教えてあげる。

楽しい映画も教えてあげる。

いい音楽もいい絵もいい詩も。

ぼくが見つけた宝物は、ぜんぶ教えてあげるから。

だからぼくが行かなかったところで、見つけた宝物を見せてほしい。

ぼくが行けなかったところで、見つけた宝物を見せてほしい。

その輝くような笑顔が宝物になるから。

だから、せめて、君がもってくるものが、僕からみてどんなガラクタでも、君の話をきちんと聞けるように、準備をしておこうと思う。だから、話を聞かせてね。ひとりじめに、しないでね。

 

 

そう。こうしているうち百年と経つようよ。

11月1日。

仕事をする。朝吹真理子『きことわ』を読む。

 

きことわ (新潮文庫)

きことわ (新潮文庫)

 

 

11月2日。

仕事をする。朝吹真理子『きことわ』を読む。

 

11月3日。

仕事をする。朝吹真理子『きことわ』を読む。

 

会わずにいてもまた会えばよいだけで、会わないでいた二十五年間も、会うためのひとつの準備であったのかもしれなかった。

 

過去と現在は折り畳まれて重なりあうように併存し、夢と現実は交錯し、お互いに影響を及ぼしあうように、過去は現在を書き換え、現在は過去を書き換える。わたしが過去だと信じているものは現実から離れた虚構でしかなく、わたしが現実だと考えているものは夢から離れた虚構でしかない。現在の夢の中をたゆたいながら、揺れ動くように。とどまることのない、たえまない運動を。

 

精神状態は、底にタッチしたようで、かなり楽になってきた。薬のおかげかもしれないけど。庭の土を掘り返したり、窓の掃除をしたりした。ホームセンターにいって、レンガをみた。かまどを作る計画があるからだ。静かに本を読み思考を巡らせ、パンを焼きピザを焼き、さふいふものにわたしはなりたい。

 

幸せを感じるということは、あらゆるものにinvolveすること。世界はつながっていると感じること。どんなものにも意味がなくて、どんなものにも意味がある。わたしにとって、野球は意味をなさないがそれはinvolveしていないからで、関わり合い交じり合っている人にとっては、それは満ち足りたものなのだろうし、ただそれだけのこと。

あらゆる細部と一体化することによってのみ人は、満ち満ちていく。

意識をせずとも一体に。

あらゆるものと一心に。

彼我の境の融解を、

流体としての心の奔流を。

 

 

偽物のくせに何かを残すなんて。

 10月30日。

舞城王太郎『深夜百太郎 入口』を読む。家の片付けをする。

深夜百太郎 入口

深夜百太郎 入口

 

 10月31日。

舞城王太郎『深夜百太郎 入口』を読む。家の片付けをする。

 

いまだこの家は人の家感が拭えなくて、なんだか怖いのだけれど、その家の中で、怪談集を読むという、自分でも何をしているのかわからない行為をしているのだけれども、すっげえぞわぞわする。いろんな怖いが詰まっていて素晴らしい。『淵の王』から100日間、twitterで発表されてたんだけど、その間のお祭り感は素晴らしいもので、いち舞城ファンとして最高の時間だった。

 

すだれを吊るしたり、外の照明を設置したり、本棚を整理したりした。

本のことになると、いくらでも作業ができるので、本棚を移動しなきゃいけないとかご褒美でしかない。本を詰めたダンボールもいくらでも運べる。やっぱり本屋ではたらくのがいいのかもしれない。本が好きなんだ。

マカダミアナッツチョコをもらったので、食べていると、わたしはチョコレートを噛まずに溶かす派なのだけれど、マカダミアナッツはがんがんに噛むな、と思ったので、試しに噛まずに溶かしてみたら、ナッツだけが残りたいへんに物足りない気持ちになったので、なるほど、と思った。何も入ってないチョコレートは溶かし、何か入っているチョコレートは噛む。これをルールとする。嫁であるところのなおちはチョコを基本噛むし、飴も噛む。高いチョコもがんがんいく。味わえよ!と思うけれどもそれもひとそれぞれかもしれない。

なおちが、鵺を知らないようなので、「昔飼ってたよ」と嘘をつく。が、すぐにバレる。スマホで調べたようだ。つまらない。高度情報化社会の弊害はこんなところにまで及んでいる。

死が何よりも恐ろしいのは、現在も変わりのない真実です。そう誰もが、盲信的に忌避するほどに。

10月28日。

森博嗣『彼女はひとりで歩くのか?』を読む。

 

彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone? (講談社タイガ)

彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone? (講談社タイガ)

 

 

10月29日。

野崎まど『バビロンⅠ ー女ー』を読む。

 

バビロン 1 ―女― (講談社タイガ)

バビロン 1 ―女― (講談社タイガ)

 

 

何もしないでいいということは素晴らしいもので、ただ本を読むことができるのは、何よりもの楽しみで、ましてやそれが極上の物語や至高の文学であるならば、幸せ以外の何者でもない。

夜間にかけてまた少し具合が悪くなる。左胸のあたりが、ざわざわして落ち着かなくなる。ほかのすべての情報がノイズになってしまうような、それはざわつきで、心臓から砂が混ざった血液が流れていくような、不安という不安が体を覆い尽くしてしまうような。我慢はできる。平常のように振る舞うことも不自然ながらもできているはずで。でもそれを続けていてはいけないのだ、ろう。不安を不安と受け止めて、発作を発作と受け止めて。

ざわざわした違和感は拭うことができずに、すべてのものをノイズに変える。なにがスイッチになるかもわからない。どのタイミングで押されるかもわからない。だからすべてのインプットをシャットダウンすることしかできない、と。こんな拷問を受け続けるくらいなら、と。逃げ出してしまいたい。

すべての音楽が文字が発話が人が、煩わしくて仕方がない。

来年はゆっくり休もう。心を許せる人とだけ。ゆっくりゆっくりと生活していこう。不特定多数を相手にするのなんか向いていないんだ。

たまたま2冊ともが、死とは何か、人間とは何か、という本だった。 

夜、少しだけ具合がよくなったので、青葉市子を聴く。

タバコを吸いたい。

 何かに依存しなければ生きていけないような、そんな人間だ。

よく出来ているもんで、お酒なんか飲めていたら、とっくにアルコール依存症になっているだろう、と思う。

タバコを吸いたい。

自分のことをまるごと許してくれる人といたい。

誰にも否定されたくない。

そうしてさえくれれば、僕は、スーパーマンにだってなれるのに。

なれるのに。