太宰

今日の現代文の授業では、太宰治を扱いました。

入試出典の『人間失格』を足がかりに、短編を中心に紹介しました。
これは、今年初めて扱う題材であったので新鮮でした。

太宰は、前出の『人間失格』しかり『斜陽』しかり、その経歴を反映してか、どこか暗い側面ばかりが取り上げられがちです。
いいとこ『走れメロス』でしょうか。それも、本来の痛快さとは無縁なところで解説をされがちです。
今回とりあげた短編(『朝』と『満願』をとりました)は、そうしたものとは違い、生の喜びをもった、よりリアルな生々しい感触をもった太宰が伝わるのではないでしょうか。
もちろん一側面にしかすぎませんが、暗い太宰だけではなく、『女生徒』のような新鮮な女性感覚をもった描写がかける太宰や、人生はすばらしいものだ、と思っていた太宰がそこにはいるのです。
自殺未遂や心中未遂を繰り返すその経歴の裏に、輝く生を肯定する視点も確固として存在しています。

だからこその悲鳴。

テクストとしての読み取りはもちろんのことながら、その人生が波乱に満ちた太宰は経歴と照らし合わせてみることで、その作品の味わいが増す随一の作家だと思います。そして、私小説的なものに対しての様々な概観を与えてくれるものでもあると思います。

そこにこそ、小説の楽しみがある。
作者の心の声を聞くことができる。


もちろん、評論文にも大きな問題意識を持って書かれたものはたくさんありますし、そうした視点をもつことで、より評論文を深く、作者に寄り添った形で読めるようになります。
ただ、より直截的に、より共感しやすいものとして、小説はあります。

なぜ、それを書かなくてはならなかったのか。
なぜ、そのテーマにそれほど心とらわれたのか。

それを読み取って、共感して、同じく心を共鳴させる瞬間。
それこそが小説を読む醍醐味だと思っています。

心を動かすことが、学問への第一歩。

心揺り動かすような、躍動的な学問への一助となれれば。
そういう想いで、現代文のこの形の授業をしています。

即戦力にはならないかもしれない。
点数に換算されるものではないかもしれない。

でもね、文章を読んで、要約できるだけ、内容一致問題が解けるだけ。
何の感情も抱かずに、ただ処理をしていくだけ。
そんな人間に学問は務まらない。
少なくとも楽しいものには、人生を賭すものにはならない。

他人が人生賭けて描いた魂の文章を、ただ真顔で通過するだけでは。
冷笑的に、他人と共感せず、自分の檻に囚われて、一面的な見方しかできない。


心を動かして、学問に接すること。
心を動かして、人生に接すること。


それが、すくなくとも、学問を勉強を努力を、楽しいものだと、価値があるものだと、そう伝えるべき立場にあるものの責務だと考えています。

受験とある種の教養のバランスを取るのは難しくていつもいつも悩むけれど、
少しでも、楽しいと思って、興味を持ってもらえればなぁと思って、
こんなことができる今の環境はやっぱりすばらしいなぁ、と感じています。


願わくば、この種が、いつか芽吹きますように。
そんな願いを込めて、授業に臨んでいます。

こればっかりは、満足いくことなんか未来永劫ないだろうけど、
今時点で、できる限りの力でもってして、伝えることができればいいなと、そう思います。

主張が過ぎました。
太宰に関しては森見・神・登美彦の『奇想と微笑』という太宰アンソロジーにあまりお目にかかることのない短編がたくさん取られています。もりみーの簡単な解説つきですてきです。
また、小説の構造では、大塚英志の『初心者のための「文学」』がわかりやすくてとっつきやすいかな、と思います。

興味がある方はぜひ。
大学生のみなさまも、ぜひ。
大学の文学関係の授業がつまんないという人にも『初心者のための「文学」』おすすめです。