『歓待』@八丁座

町の印刷所、諸事情抱えた家族の日常に、変なおっさんが割り込んでくる。
ホラーのようでコメディーのようで不条理で。
周到に結論らしきものを避けて作られているので、何もかもが決着しなくてもやもやする。

で、こういうタイプの作品はとにかくにがてだなぁ、と思ってチョコレート臭のするコーヒーが新発売されたので、それを2口飲んで捨てながらもくもくと考える。解釈を押し付けない、というと言葉は綺麗かもしれないけれど、それは作り手としての結論を先延ばしにすることであって、エンターテイメントとして成立しないのじゃないかなぁと思う。結論らしきものはある一定のベクトルというか、タイトルからも明示されていることではあるのだけれども。移民の問題、異物の問題、多様性の問題。そうしたものは、きわめてありきたりな疑問で、あえて観客に提示すべきものでもないだろう。考えてほしい、といっても、考えるのはどうしてああいう演出にしたんだろう、あのセリフの意味はなんだろう、あの場面の意味はなんだろう、ということであって、決してそういう問題に対しての解答に近づくものではなく、ただ作品のことを少しでも長く心にとどめておいてほしいという作り手側のエゴであるようにしか思えない。もちろんテーマが重たいとか、考えさせる作品がだめだとかいうわけではなく、その考えさせるテーマが提示するに値するものであればいい。家族サイコ―!とか友達っていいよね!とか思考停止でエクスクラメーションもってくる風なものは確かにあんまり好きではないんだけれど、かといって、思考のベクトルがベタにすぎると、もやもやを抱え込まされたような気持ちになる。いらないプレゼントを押し付けられてドヤ顔された感じ。いつまでもずっと持っててほしくて、ともらったでかいぬいぐるみみたいな。それだったら消え物の方がいいよ、と思う。一過性の思いででいいよ、と思う。
最高にエンターテイメントに振り切ってしまえば、もっと伝え方を研ぎ澄ませれば、やっぱりそれは記憶に残るものだと思うし、結局それを受け手側に投げてしまうのが、嗜好に反するのだと思う。そう、思う。最後の10分手前で終わっていたらもっと好きだったなぁ。ホラーとコメディを行き来する浮遊感はとても好きだったし、サスペンスとしてすごいよかった。最後の最後で結論から逃げているように見えて、それが、どっと、考えて、と期待されたような、わたしアピール感を受け取ってしまった。
でもそれこそ僕がそういうタイプの作品を「歓待」できていないわけで、多様性を受け入れることができないわけで。
それでも自意識と伝え方を天秤にかけるならば、他人のために自意識捨てられた方が、やっぱりなんぼかましだと思う。
たかが2時間程度のものの出した結論で、観客がすべて扇動されると思ってるならそうじゃないと思う。で、そうしたメジャーなもの、大衆もの、に対するアンチテーゼが見え隠れしすぎるから、それってやっぱいい伝え方じゃないよなぁ、と。違和感はバリバリに感じたし、こうやってぐるぐる考えているのだから結果として成功しているのかもしれない。けれど、こっちには行きたくない、エンタメに振り切りたくない、きれいな画だけが映画じゃない、おしゃれになりすぎるのもいやだ、難解になりすぎるのもやだ、わかられたくないけどわからないことを考えてるとはわかられたい、というような袋小路的なものを感じてとにかく息が苦しくなりましたよ、と。嫌な感じなことばかりをつらつらと打鍵したけど、結局そういうもろもろも含めて面白かったし、そもそも家族として暮らしている人たちがもとより異物同士である設定が奥深いし、何より八丁座は過ごしやすくて好き。