おれは、生きてきたというそのことだけで、つねに事を決めてきたのだ。

9月8日。

朝から好きな人を見送りにいった。
10時半の電車に乗るといっているのに、好きな人は8時に起きると言った。起きるもじゃ、と言った。まったく女というものはよくわからねえや、という気持ちになりながらも、結局わたしだけ9時半に起きた。準備は30分もあればできた。
新幹線口までお見送りにいったのだけれど、好きな人は見送りに見きりをつけるのが得意なので、結構簡単に振り返り振り返り行くのをあきらめるので、見送りのしがいがない、と思った。自意識過剰なふたりなので、あんまり遠くで振り返ったり、手を振ったりするのはちょっと苦手。
その後のんびり本屋に行って本を買い込んだり、喫茶店に入って川上弘美『どこから行っても遠い町』を読んだりした。比較的生き死にについて扱っているのに、こんなに暖かいのはなぜだろう。なににせよまなざしが暖かいのだ。いいなぁ、こういう目で人を見られる人って、と思った。川上弘美の暖かさはわたしを萎縮させる。
そのあとぶらぶらしていたら、S先生とO先生にあった。突然のことだったので、びっくりして、びっくりしました!と言った。久しぶりにお会いしたので、何をしゃべっていいかわからず、とりあえずへらへらしていたら、あ、わたし、とりあえずへらへらしてるな、と思った。もっと気の利いたことを言えればいいのに。いえない。いえないもじゃ。

別れて、喫茶店に行って、岡田利規『わたしたちにゆるされた特別な時間の終わり』を読み始めた。
なんについて書いてあるかわかんないので、こんなものを書く人はすごいなぁ、と思った。人称がぐらぐらしておる。そしてそれが効果的である。文章って難しい。難しいもじゃ。