燈を消さう。そのうちもうあけがただよ。

9月12日。 十五夜。

月がきれいです。
ただこの言葉をきれいにほろりと出せる人というのはこの世の中に数えるほどいないだろうことを思います。透明なままの『月がきれいだ』という言葉はきっとその月よりもきれいだろうとおもうのだけれど、どこに言ったらその言葉は聞けますか。『月がきれいだ』という言葉を発する過程を考えると色んな思惑が絡んでいて『月がきれい』はとても汚い感じ。この話飽きました。わたしはいつも小説や評論文を他人に説明するときに基本的に、この筆者はばかだな、とかロリコンですね、とか足フェチですね、とかそういう風にいうのだけれども、それっていうのはもちろんわざとやっているのですけど、そういう異なった視点でもって読めるよね、という風な遊び方を知ってもらいたいし、正しく自分の感性を働かせながら読むということを実践してほしいのでやっているのです。遠い距離の言葉を近くにたぐり寄せるために。古文だって同じ人間が生きているわけなので、業平かっこいいいいいい!とか、紫の上萌えるうううううううう!と読むのが正しいような気がします。
「やだ」という言葉は女の人専用な気がする。「マフィン」という言葉も。
秋山瑞人『猫の地球儀』とアゴタ・クリストフ『悪童日記』を読んでいる。柴崎友香『主題歌』も『金子光晴詩集』も続けて読んでいる。どれも読み終わらない。『なれる!SE 5』はしゅぱっと読み終わった。あのなんのつっかかりもない文章というのは奇跡的だと思う。しゅるうううと読めてしまうけど、その原因がなんなのかわからない。ノンストレス。しばらく文学よりのものを読もうと決めているので、この落差に愕然とした。文学のための小説と一般のための物語はやっぱり違うもので、小説は小説の力があるし、物語は物語で力があると思う。
今日は家を出て少し行ったところで、うちの下にある行きつけの居酒屋さんからスタッフの人が出てきて、わたしはその後ろにいたのだけれど、声をかけようか挨拶をしようかどうしようか迷っている間にすたすたと向こうに行ってしまって、社交力のなさをまた実感して、しょんぼりした。そしてもしかしたら気づかれてて、あの人挨拶しない人なんだなって思われたらやだな、と思って、わたしはほんとにだめだめだなぁと思った。
誤解されると腹が立つし、誤解以前に読み取る能力がないんだなと思うと絶望する。
わたしは、いったいなにがしたいんだろう。どうなりたいんだろう。スーパーで見つけたおいしそうな牛乳を買ってみたら成分表示にクリームチーズって書いてあってなんかすごく度肝を抜かれた。楽しみなのでまだ一口も飲んでない。明日の朝飲もうっと。とOLの日記のようなことを書いてお茶をにごすけどわたしはOLではないし、かわいいおんなのこでもない。だから牛乳を冷蔵庫に入れてしまったら、もうどうしたらいいかわからずに右往左往してうごうごしてみるしかない。うごうご。
仕事が終わってさあこれから自分の時間が始まる今日は何をしようかな、どこに行こうかなとわくわくしていたら、ふと見上げた時計が11時で、あれ、なんかこの生活おかしくない?と思った。そしてよく考えたら休みがない。さっきOKGWくんからやっぱ来週無理っす代講頼むっすと言われたけどてことはこれまだ続くんか。OKGW…。