その半球の頂にそっと、小さな珠を。【ライティング・マラソン3】

 こども用の傘は先端が丸くなっている。振り回して当たったりするときの危険を考えてのことなのだろうか。利便性はともかく、半円球のちょうどてっぺんに小さな球がくっついているのは、デザインとしてとても愛らしい。ただそう思うようになったのは、こどものころから遠く離れて、いわゆる大人になってしまったからかもしれない。こどものころは、先端の丸っこくなった小さな黄色い傘よりも、金属製で固く先端がしゅっとまっすぐになっている大きな大人用の傘に憧れていたものだ。

 幼いころのことはあまり覚えていない方なのだが、おそらく記憶の中でもっとも古い光景はこの傘にまつわるものだ。新しく買ってもらった先端がまっすぐになった傘。プラスチックながらもしゅっとした先端が少しだけ自分を背伸びさせて大人になったように感じていた。雨上がりのグラウンドで、水たまりから水たまりへ、その傘の先端でもって水路のようなものをひく遊びを、たったひとりでしていた。その時の記憶がなぜだかずっと鮮明に頭の中に残っている。雨でぬかるんでぐずぐずになった地面を、傘の先でぐにゅぐにゅと削るように水たまりと水たまりをつなぐ。その感触すらもこの手に浮かび上がってくるようだ。

 親から伝え聞いて、記憶だと錯覚しているのでもない、なんでもない日常のこと。にこにこするでもなく、ただ無心で運河を開削する職人にでもなったかのように真剣な面持ちで、大工事に挑んでいた。こんなちょっとしたわくわくした気持ちが20年以上経ったいまでもリアルに自分の中に残っている。

 もう一つの古い思い出は、BB弾を集める遊びだ。遊びといっていいのかどうかはわからないが、ただただひたすらBB弾を集め続けるのだ。BB弾というのはBall Bullet(球形弾)の略称なのだが、直径10mmにも満たない小さなプラスチックの球で、エアガンなどに使われるものだ。近所の家と家の狭間にぽっかりと空いた50m四方くらいの空き地で、誰か近所のお兄ちゃんたちが遊んでいたのだろうか、いつ行ってもBB弾がころころと転がっている場所があった。そこに友達と連れ立って、時には一人で、BB弾を拾い集めていた。エアガンを持っているわけでもなく、集めたBB弾はなんの使い道もないのだけれど、黄色いだけのBB弾がほとんどの中に、紫色や橙色の透明なBB弾が紛れていて、それらは「あたり」だったのだ。きらきらと光を透過するそれは宝石のように輝いて大事に思えた。行っては集め、行っては集め、そして冬眠前のリスみたいに、集めたBB弾を近くの使われていない花壇のような場所に埋めていた。

 ただずっと心の中に染み渡っているのは無心になって取り組んだことで、派手な嬉しさよりも苦難よりも、そんな無心のときの気持ちをふっと思い返すときに自分の存在というものが少しだけ愛おしくなって、心がほんの少しだけほぐれてくる。あんな意味のないものにあれだけ夢中になっていた自分。なんの客観的価値もないのに楽しさを想像して、喜びを創造して、誰の評価も求めずに、ただ自分の心の向かうままに。水たまり運河開削職人が、BB弾貯蔵庫管理人が、ただ自分の職務に忠実であったように、心の向かうまま、他の誰でもない自分が価値を見出したものに無心になって夢中になっていたい。

 ある日いつものようにその空き地に行ってみたら、 花壇は突如としてコンクリートで固められていて、僕のBB弾コレクションは小学生の手にはおえないほどに埋蔵されてしまっていた。今でもその場所を見るとなんとなくその時のことを思い返して可笑しいやら悲しいやら複雑な思いがする。がっくりと項垂れている管理人の肩を、ぽんぽんと、叩いてあげたい気持ちになるのだ。

 

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