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諏訪哲史『りすん』を読み始め読み終わる。会話の鍵括弧のことを考えたので、再読。

実験小説というものがあるが、小説が小説のルールを破りより自由になるにはどうすればいいのか、という考えは、小説がルールを破ったところで何があるのか、果たして何もないのか、小説とはいえないものができあがるのか、なんなのだろう。技巧は技巧としてテーマと密接に結びついたものでなければなんとなく自分的に納得がいかない。小説は小説の入れ物なのだから、小説を壊そうとしても意味がないんじゃないか。たとえばコップに水を入れる。ここになんとお湯もいれられるんだよーん、コーラもいれちゃうよーんと言われても、だから?となるし、なんとこの植木鉢でお茶がのめちゃいまーす!わたしはこの折り紙でおったやつであつあつの熱燗をのんじゃいまーすって言われても、だから?となる。コップ壊してやりました!といわれてもああ、もったいない、としか思わないよね。と思う。そしてわたしは一人の人が喋るのがとてもすきなのだけれど、そのためにはなにか仕掛けがないといけない。なぜその人一人が喋ることになっているのかという言い訳がほしい。小説には小説が運ぶ文化があり、得意な形式があるのだろう。小説には小説の最適な形があって、音楽には音楽の最適な形があって、完璧な小説と完璧な音楽が組み合わされば、より新しいものができるんじゃないかな、と超水道の電子ノベルをダウンロードして読んでみようと思う。