誰かに聞かれることを目的とした言葉は嘘だらけだ。

坂口恭平『家族の哲学』を読む。家の掃除をする。仕事をする。 

家族の哲学

家族の哲学

 

 

家の掃除をしたと言いつつも、ほとんどの時間は本を読んだりなどしていた。昼間の間は太陽がずっとあたり続けて静かなので絶好の読書スペースとなっている。薄く音楽を流しながらただ本を読む時間は幸福でしかない。

今年は忙しくて完全に日々がただ流れていって、創造的なこととか、静かに本を読んで考えたりする時間が取れなくて、ストレスを発散させるようにしか休みも使えなかった。それはそれで、というか限界まで働くつもりだったからいいんだけれど、やっぱり僕は仕事でやっているわけじゃなくて、好きでやっているもので、そうじゃなければ続かないんだなぁ、と思った。我慢がきかない。じぶんのことを信頼してくれる人の前で働きたい。どちらもがしゃあなしで顔を合わせているのなんか吐き気がする。
本を読んで、頭を動かして、ものを書いて、それをおすそ分けするような、托鉢僧みたいな暮らしがしたい。
古民家は段差が大きいので、赤子に危ないなと思った。はいはいするようになるともう危ないな。古い日本家屋の、ただそこにある感すごい。ただ土の上にある。隙間があるから自然と地続きになっていて、そこに仮にいさせていただいている感覚。
なるべく何もない家にしようと思っているので、8畳の居間に本当に置くものが何もない。なおちはゴロゴロしたいからいいと言っているが、ゴロゴロと云うのはそんなにゴロゴロすることを指しているのだろうか。まぁ赤子が生まれたら、そんな悠長なことも言ってらんないんだろうけど。もう少しだけ二人の自堕落な時間があってもよかったのかな、とも思う。

 

坂口恭平に出会ったのは、本当に偶然で、運命的で。この本もこれから家族を作ろうという僕にぴったりのものだった。鬱を抱えて家族を作ってもいいのか。子供に悪影響なんじゃないか。そもそもうまくいくのか。自分の家族関係自体がうまくいっていないのに、その再生産になってしまうんじゃないかと怯えていた。その悩みを共有できるだけでも少し楽になった気がする。前回が失敗しているだけに、僕には家族なんて作れないと、そう思っていたけれど、なおちとだったら、という気になっている。お互いに弱い部分を抱えて、理解してくれて、不満を口に出せない僕を、気分の浮き沈みの激しい僕を、調子に乗って「俺天才!」と言っている僕も、具合が悪くて「向いてないんだ、、、仕事辞めたい」っていう僕も、ただ「そうだねぇ」って言って聞いてくれることがどれだけありがたいことか。みんなが愛想を尽かしてしまうところを、自分が大嫌いなところを、かわいいと言って、好きだと言ってくれることが、何度僕を助けてくれたことだろう。そうしたところがオーバーラップして、人ごとじゃないみたいに読めて、願わくばこんな風な家族を作れたらいいなと思う。絶望は無くならないけど、幸福も無くならない。幸福な絶望を、ただ仕方ないね、って笑って、困ったね、って笑って、家族で欠けたものを補いあうように、認め合うように。そうして過ごしていけたらいい。