息をするには どんな布でもよくって いたむ星を包んだ。

予防接種にいく。仕事をする。三角みづ紀『舵を弾く』を読む。

 

舵を弾く

舵を弾く

 

 無理やりにでも本を読む時間や、詩を読む時間や、古典を読む時間をつくる。

夜のだれもいない家で電子音のない音楽を聞きお香を焚いて、ただ何もなく過ごす。

一人の時間がないといけない。

家族と接すると具合が悪くなる。

予防接種に行った病院にいた赤ちゃんがもにもにもにもにずっとしててかわいかった。

猫たちが外を走っている。このままどんどん猫が増えればいい。

知ることは楽しい、本を読むことは楽しい。

それをずっと伝えていきたい。

わたしが伝えたいのは勉強ではなくて、点の取り方でもなくて、知ることの楽しみで。

だから素材なんてものはなんでもいい。

数独でもいいし、詩でもいい。

料理でもいいし、ジャグリングでもいい。

ただ自分の頭脳を拡大していくことが、自分の身体を研ぎ澄ませることが、自分の可能性が広がることがただただ楽しい。無心に楽しい。

そりゃあ万人に楽しいことではないかもしれないけど、けん玉もゲームも、面白いぞ!!っていう人がいるから、それに影響されて、共鳴して、興味を持つようになる。

 

だからわたしは誰よりも高らかに誰よりも大きな音で、知ることは楽しいと叫び続けたい。

わたしだけにできるやり方で。わたしだけに出せる音色で。

 

代替可能なものからは人は喜びを得ることができない。

高校生で、お金がないころに買ってしまったしょうもないCDとか。えいやって思って買った単行本とか。

選択肢のなかったころのものは愛着と喜びがある。

いつでもなんでもほしいもの、じゃなくて、全然わかんないけど、仕方なく何度も聞いて何度も読んで、だんだん良くなってくるあの感じ。それが喜びに、つながっているんじゃないだろうか。

だからわたしたちに最後に残されている代替不可能なこの体、この頭も、不都合まみれで望むものじゃなくても、繰り返し繰り返ししている間に、しゃあないな、と思っている間に喜びに満たされて、幸せを感じることができればいい。

聴き方がわかる。読み方がわかる。

そんな感じで生き方がわかってくれば、楽しく生きられるのか。

こんなはずじゃなかったを捨てて、ああなりたいという執着を捨て。

ただありのままをしゃあないな、と笑って受け止めることができれば。

 

 

自分自身さえも乗りこなせないのに、こどもを抱える不安がずっとある。

だからせめて、子供の前で完全な親を演じないでいたい。

完全な子供を望まないでいたい。

きみはぼくらの子供だから、しゃあないな、って、笑ってあげたい。

 

ごめんね。たぶんいい親ではないと思うけど。

でもすごく楽しみにしているんだ。

不安ばかりでいいこともあんまりないけれど、でも少しだけ楽しいことや、生きててよかったなって思えることもあるから。

ここが危ないよってことや、こうするとダメだよってことよりも、こうすると楽しいよ、これが楽しいよってことをたくさん教えてあげたい。

楽しい本を教えてあげる。

楽しい映画も教えてあげる。

いい音楽もいい絵もいい詩も。

ぼくが見つけた宝物は、ぜんぶ教えてあげるから。

だからぼくが行かなかったところで、見つけた宝物を見せてほしい。

ぼくが行けなかったところで、見つけた宝物を見せてほしい。

その輝くような笑顔が宝物になるから。

だから、せめて、君がもってくるものが、僕からみてどんなガラクタでも、君の話をきちんと聞けるように、準備をしておこうと思う。だから、話を聞かせてね。ひとりじめに、しないでね。