この時が永遠に続けばいいのに。

11月6日。

仕事をする。

その他のことがまったく記憶にない。

浜田真理子を聴く。

 

11月7日。

ジムに行く。仕事をする。

堀江敏幸『なずな』を読む。

浜田真理子を聴く。

 

11月8日。

猫を触る。仏像を見る。仕事をする。

堀江敏幸『なずな』を読む。

横山雅彦『完全独学!無敵の英語勉強法』を読む。

浜田真理子を聴く。

 

没頭すること。没入すること。忘我の境地に至ること。

無心に。ただ無心に。

対象と一体になるまで。

 

 

思えば、僕が英語をやっている『理由』は何もない。

洋楽が好きなわけでもないし、洋画が好きなわけでもない。

外国に行ったことがあるわけでもないし、身近に外国の人がいるわけでもない。

 

訳のわからない規則ばかりで大嫌いだった。

学校の先生も大嫌いだった。

 

でも、出会った本がよかった。

松本道弘先生。大西泰斗先生。横山雅彦先生。もっともっとたくさんの”達人”に触れることができた。

そこにあったのは、ただの憧れで、役に立つとか立たないとかそんなものは、頭の片隅をよぎりもしなかった。ただただ先人になんとか追いつきたくて、その足あとでいいから踏みたくて。

スポーツ選手に憧れるように、芸能人に憧れるように、僕にとっての憧れは、英語の達人たちだった。

野球選手に憧れる子が、少しでも近づきたくてバットを振るように。

バンドに憧れる子が、同じ音を求めてギターに触れるように。

そんなふうにして英語を学び、シャドーイングをし、音読をして、文章を読んだ。

 

この2、3年。いろんな環境を変えてみて、それに毒されてしまった、とまでは言わないけれど、影響をされすぎてしまって、それを見失っていた。

点数が取れないといけないと思い込んで。

実用的でなければいけないと追い込んで。

そんなつまんないものを、あのときの僕は求めていなかったし、そんなつまんないものを伝えるために生きているわけじゃない。

ただ英語に触れるのが楽しくて、ただ文章を読むのが楽しくて、ただ新しい知識に触れるのが楽しくて、それが次々にリンクしていくのが楽しくて、ただそれだけで。

無心になって英語と遊んで、知識と一体になっていた。

 

憧れとなるように。

 

あんなふうになれたら。

あんなふうにふるまえたら。

 

楽しさを伝える、というのともちょっと違うんだ。

僕にとっての憧れの先生方は、決して楽しいから一緒にやろうよ、なんて言っていない。傍からみても険しい道を、ただ切り開いていくその背中に、僕は憧れたのだった。

 

あの時から時間がたって、ぼくの興味は英語以上に広がったけれど。

ぼくが無心に学問に取り組んで、一体となって、その背中に憧れてもらえるように。

大それた願いだけれど、そうじゃないと、僕の望む教育はできないんだな、と。

だからこんなにも、虚無を感じていたんだ、と。

教材を与えられて、教材を準備して、事前に決まったものを、規定どおりにこなす。

そんなことはまったく僕にとって、意味がないものだった。

もっとおおらかな学問を。

 

好きな場所でゆっくりと来し方を振り返り、恩師の新しい著作を拝見して、自分の足元を確かめることができた。なんていいタイミングだったんだろうか。

 

興味の赴くままにしゃべって、それがそのまま学問となるように。

ぼくは在野でいようと、決意したんだった。

野に在って、人にこの喜びを伝えたいと思ったんだった。

 

この時が永遠に続けばいいのに。

学問だけに満ち満ちたこの時が。

そう思えるように、そう思ってもらえるように、精進しなくては。

 

こうして、すこしずつ螺旋を描くかのように進んでいく。

すこしずつすこしずつ磨かれていけばいい。