まったくそのことのために囁きの森があるようなものじゃないかしら。

 

6/15

35才になりまして。日々が目まぐるしく過ぎていく。

子どもができて、子ども中心の生活になって、仕事と家庭とで時間がほとんど埋まってしまう。

ゆっくりと本を読む時間もなく、いきおいファーストフード的なものをぱぱっと読んですませてしまう。

食べやすくて味の強い食べ物もいいけれど、薄味でじっくりと味わいながら食べるものも必要で、本当に体をつくってくれるものはそういったものではないかなぁと思う。

ぼんやりとものを考える時間や、じっくりと何時間もかけて本を読む時間、自分を振り返り内省する時間がなければ、ただ時間の流れに流されるままになってしまう。

来し方を振り返り行く末を臨み、生きるさまを立てていきたい。

強い意志をもたなくてはそれは成しえないものなんだなぁと思う。

ものを書く時間もなかなか取れない。なるべく書くようにしよう。

仕事も家庭も充実させ、自分の時間も確保する。

ライフワークバランスでは足りなくて、ライフワークセルフバランスをとらなくてはいけない。

 

イーヴリン・ウォー『愛されたもの』を読み始める。ゆっくりと味わうべき本。

高田大介『図書館の魔女』も読んでいるけれど、なかなか波にのれなくて、まだ1巻の序盤あたり。

 

最近子どもが早く起きてきて、離乳食も食べなくてうちの奥様がしんどそうだったので、子どもを連れて外に出る。東尾道の公園に行く。

(たぶん)はじめてジャングルジムを見て、夢中で遊んでいたけど、途中から石拾いに移行していた。拾った石をいちいちくれた。

最近精神的な成長が著しく、うーたんのぬいぐるみにミルクをあげたり、主張が出てきて、だいぶコミュニケーションがとれるようになってきた。こないだまで立つことさえできなかったのに。このまま成長していって、反抗期になっていくんだなぁと思うと父は少しせつない気持ち。

子育てをしていると、気づきや学びが多くて素晴らしい。机上の空論ではなく、地に足がついた成長への理解が進むし、親の気持ちはたしかに親になってみないとわからないもんだなぁと思う。あらゆる体験は糧になる。すべての場所に学びがある。あらゆるものに感受して生きていきたい。

本を読むことは、その体験を埋める一助となるもので。

自分が選ばなかった経験を、理解することができる。

例えば僕はもう子どもを持たない経験はできない。子どもを持たないことの苦悩。子ども持たないがゆえの利点。結婚しなかった生活。サラリーマンだった生活。自分が選ばなかった場所。経験する可能性完全に奪われてしまったもの。生きれば生きるほど、あらゆる可能性の選択肢は狭まっていく。

そうした不可逆な生の一回性への抵抗こそが読書であり、他者を理解することだ。

本を読むことで何度も生き、あらゆる経験をすることができる。

様々な立場を理解することができる。

だから僕は今日も本を読み、あらざる生を生き直す。

自分の生だけでは足りない。

本に没入することで、この現世のまま、僕は輪廻を繰り返す。

さぁ今日は何になろうか。